マイチャン。テレビ信州
実は何年か前に、同じタイトルで小欄に日記を書いた記憶がある。
当時、同じ記者クラブで席を並べていた新聞記者のキュウ君が、
明日結婚式を迎える。

田中県政当時、脱ダムをめぐる侃侃諤諤の論をぶつけあっていた
長野県と長野市。そのニュースを日々ともに追いかけた仲間である。
長野を離れたあと、在日米軍基地の問題や警視庁などを担当。
時折、彼の署名入りの記事を紙面で読むこともある。
報告の電話をもらった時、思わず「でかした」と叫んでしまった。

常に穏やかで飄々としているキュウ君が書く記事は、
厳しい視点でニュースの課題を適確に突いたものが多い。
奥様を射止める時も、飄々ではなく“鋭く切り込んだ”のか?
はてさて?

かつてキュウ君が座っていた椅子では、後任の女性記者さんが
日々パソコンに向かいつつ原稿を打っている。
私はひとつ隣の席で、大雪のあとの青空をぼんやりと見ている。
遠い雪国の空から、キュウ君おめでとう:**:

null
【長野市政記者クラブの窓。2月の日差しが心地よい】



取材先へ資料を取りに行こうと駅への道を一人歩いていた時、
一人の老婆が道を尋ねてきた。
「ここら辺りに車庫があったはずだがね」
車庫・・・・・・。暫し問答してバスターミナルのことだと分かった。
「おばあちゃん、それ駅の向こう側だよ。行き方は分かる?」
心細そうな顔を見たら反射的に「じゃあ一緒に行こう」と相成った。

聞けば77歳、私の母と同い年である。病院からバスに乗って
「駅前」で降りたのだが、どうも駅の反対側だったらしい。
別のバスに乗り換え、50分ほどかかる信州新町まで帰るのだという。

階段を避け、エスカレーターとエレベーターを乗り継いで
善光寺口へと辿り着く。信州新町行きならば、
ターミナルまで行かずともここから乗れるはず。
「ちょっと待って、乗り場見てくるから」
と、すぐに乗り場は見つかった。運良く4分ほどでバスが来そうだ。
「ここから乗れますから、気を付けて」
老婆に別れを告げると、頬かむりの下から小さな声で
「まあ、仏さんみたいにご親切に。有難うございました」

一瞬返答に困ったあと、私も深々とお辞儀を返す。
46年生きてきて“仏さん”と言われたのは初めてである。
“鬼”だの“コン畜生”だのは数知れないのだが・・・・・・。

今夜は家人に何を言われても笑顔でいられそうな気がする。

01/30: 足跡

朝まだ薄暗い時間に目覚め、厚着をして外に出る。
いつもなら凍った舗道で滑らないよう足元を見ながら、
右手の引き綱を引いたり緩めたり。
その一緒に歩いた相方は、もういない。

小欄に何度か登場した我が家の犬が永眠した。
享年17。人間であれば90を超える齢だろうか。
長生きだったと思う。

null

最期まで自分の意思で外に出て、用を足した。
翌朝同じ路地を歩くと、植え込みの雪溜まりに小さな足跡が残っていた。
よたよたしつつ、何とか自分の足で外を歩いた最後の散歩。
その跡も、次の雪が降ればきれいに消えるだろう。

毎朝の時間が手持ち無沙汰になるのが、寂しい。
よく降りますね、この雪。
スーツに革靴、ではとても雪道は歩けない。
で、今週は“スーツにゴム長”で通した。

null

最近は実に洒落たゴム長が出ていて、
ある女性スタッフいわく、
「下手なブーツなんぞより滑らないし温かいし」
とベタ褒めである。

しんしんと降り続く窓外の雪を見ながら、
まだ暫くはゴム長だな・・・・・・とつぶやく。
 私が自宅へ忘れ物を取りに戻ったちょうどその時間、
家のテレビが神戸からの黙祷の様子を生中継していた。
午後2時46分、東日本を大地震が襲ったあの時刻に、
17年前の被災地から東北へ静かな祈りが送られていた。

null

 ふと思い立って、壁に掛かる柱時計にレンズを向けた。
小学校当時から実家の居間で時を刻んでいたものだが、
実家を建て替えたのを契機に物置に仕舞い込まれていた。
それを、私が結婚した時に新居の借家に持ち込んで使い始めた。

 阪神間を地震が襲った日も、東北が津波に見舞われた日も、
この時計はずっと動いていた。
何かがある度に、不思議とこの時計のことを考える。

 とうの昔に亡くなった祖父が、踏み台に乗ってネジを巻く姿が
記憶に残っている。ゼンマイにネジを巻くのはほぼ20日に一度。
祖父がいなくなってから、それはずっと私の役回りだった。

 そろそろネジを巻く頃合か。神戸の映像と振り子を見比べながら、
そんなことを考えた。
tsb
Copyright(C) 2012 TSB [TV.Shinshu Broadcasting Co.,LTD.] All rights reserved.
1-1-1 wakasato nagano city nagano japan