伊東 秀一

12/14 師走の長沼にて


【千曲川堤防上から見る長沼体育館/9日】

 長沼という地名は明治の初めから使われていたという。
当時は長沼穂保町。その後、長沼村を経て1954(昭和29)年に
長野市に編入合併された歴史を持つ。現在は、大町、穂保(ほやす)、
津野、赤沼と4つの住所表記に分かれている。
               ✤
「沼というくらいだから、昔は湿地だったかもしれないなあ。
 そのぶん作物は採れたと思うよ。今だって畑は多いからさ」
寒風が吹きつける中、泥掻き作業の手を止めて男性が教えてくれた。

“長沼のリンゴ”は果樹地帯の北信地域でも一種のブランドと言ってもいい。
その多くの畑が濁流に襲われてから2か月が過ぎた。
農道を歩くと、否が応でも廃棄されたリンゴが目に入る。
               ✤
公的機関による農業ボランティアの募集が、この週末で一旦終了したという。
状況を見ながら第二期の募集も検討されているが、
実際の復旧作業がこれで終わったわけではない。
「冬の間に摘果(果樹の芽を摘む)作業は済ませないとならないし、
 3か月も経てば樹の消毒です。その前に機械が入れるようにしないと」
つまり、それまでに農地の泥の掻き出しを終えなければならない。
それが間に合わなければ来年のリンゴは作れない。
公的ボランティアでない、いわば個人ボランティア(近所・身内・知人など)の
力が必要な段階なのではないかと、取材で訪ねた農家の3代目は言う。


【個人ボランティアによる農地復旧/長野市穂保】

自宅が全壊と判定された堤防近くの住民が、ぽつりと口にした。
「2か月どころか、もっと前の出来事のような気がします。
 だけど片付けが進んでない畑や家を見ると、
 ああ、まだ2か月かって思うんです」

私自身も何が出来るのか自問自答する。
今年の師走は、とても長い。


【決壊点近い堤防上から/穂保・津野方面】