伊東 秀一

12/31 テールランプ


【社殿が流出した守田神社にて/長野市穂保】

 新元号の施行と新天皇の即位。世界一小さな赤ちゃんの退院。
夏の参院選。覆面レスラーの市議当選。豚コレラの拡大。
消費税が10%にアップ。御嶽海関の優勝等々……。
             ✤
 思い返せば今年は様々なニュースがあったはず。
なのに、秋の終わりを襲った災害の記憶はあまりに鮮明でした。
仮設住宅、親戚宅や知人宅、施設、被災した自宅の一室、
それぞれの場所で年を越す人たちがいることを胸に刻みながら、
私たちが次に出来ることを考え続けたいと思います。
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 数時間前、日の暮れかけた高速道路を運転していると、
北へ向かう車が次々と私の車を追い越していきました。
そのほとんどが県外ナンバー。
故郷での大晦日の夕餉に間に合うようにと待つ人のもとへと急ぐ、
そんな気配が感じられました。
“ニュースがないことが良いニュース”。
その思いは今も変わりません。
 やってくる新しい年が、穏やかでありますように。
遠ざかるテールランプの群れを見ながら、願ったことです。

12/24 感謝と祈りと

この時季、長野駅前の末広町交差点から善光寺に向かう中央通=
通称・善光寺表参道が華やかである。
イルミネーションを見上げる人で賑わう帰宅時間帯も悪くないが、
個人的には少し遅めの、人出と車通りが途絶える頃合いが好きである。
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イエス・キリスト降誕の前夜祭であるクリスマスイブだが、
以前に話を聞いた宗教学の先生いわく、
「お祝いだけではなく、実は感謝する夜でもあるんですよ」。
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御利益(ごりやく)ばかりに期待する自分自身に反省し
(これは仏教と神道か)、他者を想い祈る気持ちも少しは持たねばと
夜の灯りを見ながら思うこの頃。
感謝どころか、反省ばかりが先に立つ。やれやれ・・・・・・。

12/23 黙々と

写真はきょう午後7時半のTSB報道制作フロア。
灯りが消えた奥の空間は「ゆうがたGet!」のデスクである。
いつもは翌日の仕込みでスタッフがまだまだ動き回る時間帯だが、
先週末で年内の放送を終えたため、今週はひと足早く静かな夜なのだ。
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手前のデスクは日々ニュースを送り出す報道部のメンバーたち。
世の中が年の瀬モードに入っても、ニュースに休みはなし。
明日の取材の下調べをしつつ、一方で不測の事態に備える。
「ニュースがないことが良いニュース」とは先輩記者に教わった
けだし名文句。
かくして我がニュースチームの夜は、黙々とふけてゆく。

12/18 大日向、年の瀬


【佐久穂町大日向四区から南の山並みを望む】

天気快晴。気温8度。ほぼ無風。
ひと月半ぶりに訪ねた佐久穂町大日向(おおひなた)の集落は、
穏やかな冬の日差しの中にあった。
ただし、発災当初と変わらない痛々しい風景も各所に見られる。


【大日向四区の土石流の痕。1か月半前のままだった】

川と並行して延びる生活道路はおおむね復旧したが、
山から襲った土石流や鉄砲水の痕跡はそのまま。
中には、土砂で倒壊した住宅が放置されている所もある。
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「大日向全体では2~3人が地元を離れるらしい。
 私の知っている家でも2軒はここを出ると聞きました」
地元区長をつとめる男性は、川沿いの家並みを見やりながら話す。
30年間地域で暮らしたその口調は、寂しそうだった。

山沿いの斜面を歩くと、整然と石垣が積まれた棚田が広がる。
十数段にもおよぶ大半は、長年耕作されていない休耕田だ。
一面を覆い尽くしたススキの穂が風に揺れていた。
近くに立つ石碑には「昭和42年」の文字が刻まれ、
今は亡き3代前の県知事の名が揮毫されている。
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山間を流れる川沿いに、わずかな農地を求めて戦後に入植した開拓農村。
工夫と苦労を積み重ねた棚田の石垣が、その歴史を物語る。
「これまでこんな水害は一度もなかったんです。あの穏やかな川が、
 嘘みたいな話ですわなあ」(大日向三区の住民) 
親戚のもとや町営住宅で年の瀬を迎える大日向の人たちが
我が家に戻れるのは、早くても年明け1月の後半になるという。

12/14 師走の長沼にて


【千曲川堤防上から見る長沼体育館/9日】

 長沼という地名は明治の初めから使われていたという。
当時は長沼穂保町。その後、長沼村を経て1954(昭和29)年に
長野市に編入合併された歴史を持つ。現在は、大町、穂保(ほやす)、
津野、赤沼と4つの住所表記に分かれている。
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「沼というくらいだから、昔は湿地だったかもしれないなあ。
 そのぶん作物は採れたと思うよ。今だって畑は多いからさ」
寒風が吹きつける中、泥掻き作業の手を止めて男性が教えてくれた。

“長沼のリンゴ”は果樹地帯の北信地域でも一種のブランドと言ってもいい。
その多くの畑が濁流に襲われてから2か月が過ぎた。
農道を歩くと、否が応でも廃棄されたリンゴが目に入る。
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公的機関による農業ボランティアの募集が、この週末で一旦終了したという。
状況を見ながら第二期の募集も検討されているが、
実際の復旧作業がこれで終わったわけではない。
「冬の間に摘果(果樹の芽を摘む)作業は済ませないとならないし、
 3か月も経てば樹の消毒です。その前に機械が入れるようにしないと」
つまり、それまでに農地の泥の掻き出しを終えなければならない。
それが間に合わなければ来年のリンゴは作れない。
公的ボランティアでない、いわば個人ボランティア(近所・身内・知人など)の
力が必要な段階なのではないかと、取材で訪ねた農家の3代目は言う。


【個人ボランティアによる農地復旧/長野市穂保】

自宅が全壊と判定された堤防近くの住民が、ぽつりと口にした。
「2か月どころか、もっと前の出来事のような気がします。
 だけど片付けが進んでない畑や家を見ると、
 ああ、まだ2か月かって思うんです」

私自身も何が出来るのか自問自答する。
今年の師走は、とても長い。


【決壊点近い堤防上から/穂保・津野方面】