伊東 秀一

08/14 もうひとつの無言館へ

私がその美術館に半年近く通ったのは2005年、
もう15年も前のことになる。
上田市の独鈷山麓にあるこじんまりとした館内には
病や貧困によって若くして他界した絵描き
=夭折画家(ようせつがか)の作品が並ぶ。
その小さな美術館が、全国区の知名度を持つ
「無言館」の原型になったことを知る人は少ない。
          ✤
時は戦後60年の節目。多くのメディアの取材が
無言館に集中する中、アマノジャクである私は
敢えて無言館ではない方に取材の軸を置いた。
当時、そこは信濃デッサン館という名だった。

取材・撮影をスタートさせたのは夏の初め。
30分のドキュメンタリーとして放送なったのは
開戦の日をとうに過ぎた師走の後半だったと記憶する。
          ✤
両方の館主をつとめる作家の窪島誠一郎さんは当時こう話した。
「軒先貸して母屋盗られる、みたいな感じですかね」
後から生まれた無言館が、その原型であるデッサン館を追い越し
観光バスが行列するほどの来館者を集めるまでになったことを
皮肉っての表現だった。

奇しくも番組取材中の当時、経営難を理由に一度、
その後もう一度閉館の危機を経験したデッサン館は、
今年6月に「残照館」と名を変えて再開した。
お盆前、その残照館を訪ねた。
個人コレクションである絵の多くを売却した窪島さんは、
残った1000点余りの作品に囲まれながら
穏やかな日々を送っているように私には見える。
          ✤
「好きな作家の絵に囲まれて暮らせるなら
 毎日、生卵と納豆だけの生活だって幸せです」
15年前の館主の言葉の重みが、今になって分かる気がする。
無言館から徒歩15分ほど。もし訪ねる機会があったら
‟もうひとつの無言館”にも是非足を運んで頂きたい。
今年78歳になる館主本人が、静かに迎えてくれるはずである。
(※開館は土・日・月曜のみ。入場無料)


【夏の花 モクゲンジ/上田市東前山・残照館近くで】