伊東 秀一

09/17 「風立ちぬ」の時代に

「戦争と戦争に挟まれた束の間の平和な時代だったんでしょう」
飛行士を大叔父に持つ男性は、こう話してくれた。
日本中の夢を乗せて大空を飛んだパイロットがいる。
その人物の足跡を、安曇野市の生家に訪ねた。


■「AIR&SPACE」8月号/米国立スミソニアン博物館刊
■掲載写真は飯沼飛行士記念館(安曇野市)提供

彼の名は飯沼正明。長野県南穂高村(現・安曇野市)に生まれ
1937年に東京~ロンドン間を94時間17分の世界最短で飛んだ。
きっかけは先月出版されたアメリカの航空専門誌に
彼の功績が特集され、再びその記録が注目されたことだ。
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「嬉しかったですね、今になって世界が注目してくれるとは」
笑顔で話してくれたのは飯沼成昭さん。飛行士の兄の孫にあたり、
今は亡き飛行士の生家を、記念館として管理しておられる。
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「神風」という機体名は戦時中の特攻隊を彷彿とさせるが、
実は戦争とは無関係。東京朝日新聞(当時)が企画した
日英親善飛行のために一般公募で選ばれたものだ。
大空へ、海外へと夢が花開いていた時代の空気が窺える。
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記録が達成された1937(昭和12)年の航空史を紐解くと、
宮崎駿監督の映画『風立ちぬ』の主人公である堀越二郎が
零戦(零式艦上戦闘機)の設計に着手したのがこの年であり、
日本の航空技術が頂点に向かっていた時期でもある。
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一方で、同じ年の7月には日中戦争の発端となる盧溝橋事件も。
飯沼成昭さんが語った「束の間」という意味が重い。
戦争の気配が濃くなる時代に、軍人ではなく民間飛行士として
飛び続けた信州人の足跡を改めて知りたいと思った。
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今夜の「news every.」(18:15~)でお伝えする。

 

09/11 影アナ席から~9.11

 ちょうどひと月前、上田市のホールで催された
世界的ピアニスト・反田恭平さんのリサイタルで、
場内アナウンス(影アナ)を担当させてもらいました。
当初は3月末に予定されていたものが延期となり、
反田さん自身も無観客での演奏披露を続けてきた、
そんな中でようやく到来した有観客での演奏会。
演奏者にとっても聴衆にとっても待ちに待った日でした。


【上田市・サントミューゼ。当日は客席使用率50%で開催】

ホール半分のお客さんながら、終演後の鳴りやまない拍手に
ピアニストは3度もステージに再登場し、カーテンコールに
応えられました。あの嬉しそうな横顔が忘れられません。
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思い返せば、このコロナ禍で大きく変わった生活様式。
ワクチンや治療法が確立した後も、完全に元に戻すことは
できないのでしょう。
3.11の震災が日本を襲った時も似たことが言われました。
日本社会の価値観、自然への向き合い方がすっかり変わったと。
          

【舞台袖にある影アナ席にて/8月12日夜】

そしてきょう、9.11。ともすればコロナ禍で忘れていた日付。
この日も、世界の価値観が大きく変わった節目でした。
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もとに「戻せない」ものばかり増えていく中、
「戻せる」ものもどこかにあるのではないか。
この半年近くを思い返しつつ、そんなことを考えています。

  

09/09 宙(そら)の名前

 30年近くも前、こんな名前の写真集を購入し
飽きもせずに眺めていた時期がありました。
宙を「そら」と読ませるあたり、何とも粋ですね。


【TSB本社屋上から撮影/午前11時前】

「季節の表情は空から先に変わっていくんです。
 平地は暑くても、空はもう秋になってますから」
とは鈴木智恵・気象予報士の談。
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 写真は上から「レンズ雲」(風に流され帯状になったもの)、
2枚目が「ひつじ雲」(羊の群れのように見える部分)と呼ぶのだそう。
他にもたくさん呼び名があったはずですが、ほぼ忘れました。
宙の名前を智恵さんに教わらないと・・・・・・。
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 数日前まで夏の入道雲が立ち上がっていた東方連山(写真3枚目)上空も、
いつの間にか刷毛で引いたような雲が。たしかに空はもう秋です。