終戦間際、日本軍は「回天」という兵器を造った。
長さ14m余り、直径わずか1mの鉄の筒に
人間が乗り込み敵艦に体当たりする、いわば「人間魚雷」。
その出撃基地があった山口県周南市を訪ねた。
この町で生まれ育った戦没画学生のご遺族に会うためだ。
「今、芸大に入ると親子で乾杯してるけど、あの当時
美術の道に進むなんて‟非国民"だったんです」
こう語るのは、戦没画学生慰霊美術館「無言館」(上田市)の
共同館主である窪島誠一郎さん。
その窪島さんに画学生だった兄の遺作の一部を託し、
同時に他の絵を80年以上も守ってきたのが原田茂さん(87)だ。
取材中、会場に並んだ兄の絵を前に目を細めた。
「こんなに嬉しいことはないです」
窪島さんは講演の中で、テレビや新聞の紋切り型の戦争報道にも
厳しい言葉を向けた。
「反戦平和、無念の涙。あの四文字言葉やめてほしい。
そんな(気持ちで描かれた)絵は一枚もない。
彼らは、自分を絵の道に送り出してくれた家族に
ありがとうの気持をこめて描いている」
「ごく身近な人を愛しきった、絵はその証し」
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力強い言葉に、350人が埋めた会場からは嗚咽が漏れる。
カメラの横に立つ私も、思わず目頭が熱くなった。
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画学生の絵が伝える家族、故郷、あの時代のこと。
ご遺族の言葉、窪島氏の言葉の中から見えてくるもの。
あす15日の「ゆうがたGet!every.」(午後6:15~)でお伝えする。